グライダー部の活動|関西大学北陽高等学校 同窓会ホームページ

100周年

北陽 100年の歴史

HISTORY

1941年

グライダー部の活動

昭和16年3月16日、文部省は「中等学校二於ケル修練組織ニ関スル件」を発し、「師弟相携へテ倶学倶進シ」、「学校ノ内 外ヲ通ジ学校長以下教職貝一体トナリ修練ノ方途講ジ、以テ教導煮化ノ徹底ラ期スルコト」を通達した。各学校ではそれ に対応し、各学校内に報国団や報国隊が結成されるようになる。その組織内に滑空班やグライダー部も作られる学校もあった。そういう時代の波にそって、北陽でもグライダー部ができ、10月にはグライダーを購入して「北陽第一号」と命名、淀川清空場であげられた。滑空訓練の様子は、上下続きの白の滑空服を着込んだ部員が、機体を整備点検の上、木製の台車に乗せ淀川堤防を引き上げて、川原に滑りおろすというものであったらしい。機体をゴム紐パチンコの要領で引っ張り、合図とともに放すと、機体が空に飛んでいくという仕掛けだった。

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