三雲校長就任とシェーン台風被害|関西大学北陽高等学校 同窓会ホームページ

100周年

北陽 100年の歴史

HISTORY

1950年

三雲校長就任とシェーン台風被害

昭和24年三雲宗敏校長就任。三雲校長は大阪出身、市岡中学、山口高商から神戸商業大学(現神戸大学)を卒業して、南満州鉄道に入社、終戦の翌年内地に引き上げてきた。明和機械興業の経営に参加後、大阪市立港第1 中学校で教鞭をとっていた。八沢校長退職後、校長不在であったため理事会は審議の結果、当時学園の顧問であった福武幸吉の親戚にあたる三雲に依頼する。

 

三雲校長は、数学の副新、財政の立て直しに着手したが、大変な仕事でありただ努力と忍耐だけが救長のモットーであった。学校の評判の回復、80万円もの借金の処理、まさに苦闘の日々の連続で、北陽は息をしているというだけの状態だった。そういう時に、昭和25年9月3日ジェーン台風が襲ってきて、校舎は大きな災害を受けた。

 

 

 

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