大正14年 北陽の誕生|関西大学北陽高等学校 同窓会ホームページ

100周年

北陽 100年の歴史

HISTORY

1925年

大正14年 北陽の誕生

創立者糸島寛太郎氏は、多くの教育実践を経て学校経営を決意。関西大学学長山岡順太郎氏、関西大学教授宮島綱雄氏と相談し、文部省に申請する。大正14年3月31日に、甲種(5年生)北陽商業が1部、2部(夜間部)ともに開校する。設立者は山岡倭氏(順太郎の子息)、初代校長は糸島寛太郎氏

糸島実太郎氏、初代校長に就任

事実上の創立者である糸山貫太郎氏は桃山中学から関西大学専門部経済学部でまなんだ。卒業後、北大阪鉄道(現在の阪急電車に勤めていたが、早くから教育に深い関心を持ち、人つくりの重要性を痛感していた。特に勤労少年にめを向けて、彼らに教育の機会を与えることを真剣に考え、自ら実際に指導に当たった。また糸島夫人が豊津中学の先生をしていたことから、教育事業への意欲はますます高まり、学校経営の道を歩むことを決意した。

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