北陽工業が発足|関西大学北陽高等学校 同窓会ホームページ

100周年

北陽 100年の歴史

HISTORY

1944年

北陽工業が発足

昭和19年4月北陽工業学校が発足。校長には旧福武工学校の横山藤吾校長が就任。横山校長は高知県の出身、東京高等師範学校国漢科を卒業して、京都3中、長崎女子師範、神戸市視学、神戸高商教授、堺市助役などを歴任、昭和18年から福武工学校の校長であった。

4月には3年以上の生徒は関西スピンドル、東亜バルブ、本田工業などの軍需工場へ動員され、授業は当時十三木川町にあった旧薫英女学校跡を使って、1,2年だけで細々と続けられていた。やがて2学期になると2年、次に1年も工場に動員されていき、校長はじめ教職員は手分けして、動員先の工場を見回り、生徒を激励、監督していた。

昭和21年横山校長退職後、教頭の市川与ーが後を継ぐ。市川校長は高知県出身、高知師範から東京帝大農学部教員養成所を卒業後、福井師範、四条畷中学、高津中学を経て、福武工学校教頭となり、校長退任に伴って校長就任した。しかし病気で急逝。

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