
北陽 100年の歴史
HISTORY
1943年
北陽商業と北陽工業
戦時非常措置方策により、工業学校の転換を迫られる。福成学園が北陽商業を買収し、昭和19年に北陽工業が発足する。
昭和18年「教育に関する職時非常措置方策に基づく中等学校教育内容に関する臨時措置」が発表された。これによって商業学校は工業学校に転換を追られることとなり、本校もやむを得ず、工業学校の道を歩まねばならなくなる。
糸島校長は、しかるべき工業学校の経営者を物色した。
西淀川区御幣島に福武吉太郎創設になるスピンドル製造を主とする、関西スピンドルという会社があった。当時は軍需省の管轄下にあり、航空機の工具等の軍物資を製造していた。すでに中堅の技工を養成するために、青年学校を母体としてできた福武工学校を持っていたが、時代の要請に応え、さらに本格的な技術者の育成を目指して、工業学校(修業年限3年、機械科)をつくろうと考えていた。
そういうところに、北陽商業の話が伝えられ、福武学園が北陽商業を買収することとなり、経営母体が福武学園に移った。その時の譲渡価格は22万円であった。